2023年5月に出た「現代思想・フェムテックを考える」を読みました。
「フェムテック」の意味と範囲は?
フェムテックとは、「女性の健康のためのテクノロジー」とざっくり理解します。
現状では、月経や妊娠、更年期障害がメイントピックな感じですね。
の、上で、
「女性」とはどの範囲を指しているんだろう?
と、この言葉に出会うたびに思ってきました。
僕はトランス男性だけど上に書いた「月経や妊娠、更年期障害」って普通に当事者になってくるし、「女性」っていうんならトランス女性も含まれるし、シス・トランス関係なく子宮や胸などいわゆる「女性特有の」部分がない女性も、みんな含んでないとおかしいわけで。
「みんなの健康を考える!」って言いながら、「この人のは考えるけど、こいつらは考えない」って超絶エコひいき発生することになるじゃないですか。
そんなトピックの中で雑誌・現代思想では今までに「インターセクショナリティ」号や「恋愛の現在」号で、見落とされてきた「マイノリティ」サイドを拾った論考が掲載されてきてたのを見てきました。
それに今回のフェムテック号も、2023年5月という、まさにノンバイナリー含むトランスジェンダーを考えないわけにはいかない時代に発行されています。
なので読んでみることにしました。
「現代思想・フェムテックを考える」号の概要
「フェムテック」って言葉に対するモヤッと感は、さっき言ったように登場当時からずっとあります。
とはいえ、(広義の)女性の健康を蔑ろにしていいわけではありません。必要です。みんなそれぞれの「健康」があって、それによって個人の実感としての人生の充実度的なのが上がって幸せに生きれたらすごくいいと思いませんか。
では実際、頭のいい人たちって「フェムテック」についてどう考えてるのか?
計23本の掲載文を読んで、ざっくり合わせてみるに、
- 「女性も男性なみに働く」ことが前提の、女性労働生産率の上昇
- 少子化対策
として日本政府がフェムテックを政策として掲げたものの、
・「男性なみに働く」っての自体が健常者バイアス
・月経困難症や更年期によって働くのを辞めなきゃいけないのを、「女性の権利の問題」じゃなくて「経済的損失」としてしか見ていない
・少子化対策と言っているのに、結婚していないカップルやシングル、同姓カップルの養子縁組や妊娠出産にハードルがバチバチに立ち塞がっていて、「異性愛カップル・戸籍としての結婚・血縁関係」っていう従来の家族像を守りたいだけがために、子供を産み育てるいろいろなバージョンがない。
・「妊娠=女性の幸せ」のみしかなくて、中絶の権利や望まない避妊に関することが全て遅れている・考えられていない
・フェムテック製品は値段高めで、富裕層女性しかアクセスできない
・月経・妊娠・中絶・更年期障害などを「女性特有」ということによって、ノンバイナリーやトランスジェンダーなど、女性以外の当事者を見落としている
・本当に人生のクオリティを上げたいなら、現実の女性の身体、トランスやノンバイナリーの身体に合わせたテクノロジーがあるべきなのに、シス男性優位のテクノロジーに身体を無理やり合わせなければいけない(医療技術はシス男性の身体基準だという指摘が多くありました)
・健康管理アプリでも「ここが標準」「これが普通」と暗に言ってくることによって、「普通」っていう規範が新たに生まれ、それに対する女性の不安を煽る
・「セルフケア」「自己管理」を煽るあまり、何か問題が起きると「自己責任」ってなる
などなど、問題山積みすぎて草も生えない状況です。
おい、僕の故郷、こんなんでいいのか。
面白かったとこ
FOR ME!って感じた記事・3つ(掲載順)
1、「その「フェムテック」は誰向けの製品なのか」西條玲奈
2、「「フェム」テックとトランスジェンダーの身体の接点」山田秀頌
3、「Coco壱と国鉄 あるいは野良のフェムテック」仲西森奈
「その「フェムテック」は誰向けの製品なのか」西條玲奈
「女性」って日本語で単に書かれていたら(全部を含んでいるようで)「日本人の健常者でシスジェンダー・ヘテロセクシュアルの女性」としか考えられていないって指摘がありました。
「女性について考えたテクノロジー」とかの標語にある「みんなのため」っぽい感じと、「「女性」に⚪︎⚪︎は含まれないかなー」という選別してる感じの両方がありますが、このような矛盾した印象を抱く原因になってるんだなと思います。
よくある「みんな」「私たち」「僕ら」って言葉は、マイノリティのアイデンティティを持つ人に「自分はどうせ含まれてないんでしょ」って感情を抱かせます。
仲良くなれなかったクラスの同窓会の招待状みたいな感じ。
「招待状送らなかったら後で角が立つし、来るわけないから送っとくか〜」
招待状ならまだ「仲良くなかったしな、次々!」と割り切れるのでマシですが、こののらりくらりをことあるごとにやられる、さらにいえば生活に直接関係のあることでずっとやられるのはムカつきます。
含めるなら本気で含めよ。
少子化も経済も、「みんな」じゃなくて、本当にみんな・全員・1人残らずって覚悟を決めた時、初めて解決されるんじゃないかな、と感じます。
「「フェム」テックとトランスジェンダーの身体の接点」山田秀頌
目次をパラパラっとみた時、メインに見ようと思った記事はこれでした。
上の西條さんの記事と同じく「「女性」って誰のこと?」って疑問からスタートして、具体的にノンバイナリー・トランスジェンダーの風景から「「フェム」テックって、こうだったらいいよね」が書かれています。
今年の夏は暑すぎてへたってたので、トランス男性用に夏でも快適に過ごせるナベシャツがあるといいよねってとこに激しく同意しかない。
「トランスジェンダーやノンバイナリーはこう!だからこういう風景が見えてる!」というのは、「女性ならではの視点」と言って女性登用する企業や政治家みたいな方向に収斂されそうなケはあります。
女性登用と同じく、「⚪︎⚪︎ならではの視点」はマイノリティ救済に見えてその実、如実にマジョリティが支配的に権力を持っている事実を指しています。
女性がマジョリティな世界だったら「女性ならではの視点!」って言って女性採用しないだろうし。
これは他のアイデンティティでも同じです。
いつまでも言わせないのが大事なのではないかと感じます。
つまり、早くこの記事内で言われているような現状がおかしいってことが標準になってトランスやノンバイナリーも過ごしやすい世界になればいいのに。
そしてホルモン療法と性適合手術が保険外なのおかしいよ。
「Coco壱と国鉄 あるいは野良のフェムテック」仲西森奈
これはエッセイでした。タイのヤンヒー病院(性適合手術の大御所的病院)の名前が見えたときに「どんなだろう」ってワクワクと、タイを旅するとこんな感じって旅行感覚が楽しかった記事です。
そして
トランスジェンダーを説明する言葉として「からだとこころの性別が違う」「からだは男/女、こころは女/男」という言い方が昔からあるが、当事者の実感に寄り添っていない、誤解を招きやすい唾棄すべき表現だと個人的には思う。齟齬をきたしているのは「からだ」と「こころ」ではなく、「自己」と「視線」だ。
ってところは、僕もずっと思ってたところだったので、色んな人に認知してほしすぎたとこです。原文のまま引用します。(マークはMiyabi)
他に面白かった記事内容
他にも「痛みを感じる身体、変容する身体」(関根麻里恵)にあった映画「TITANE/チタン」は面白そうでした。
ホラー映画を「男性主体・女性客体」ってみるのはよく聞くけど、これはそれを崩してるってことで、痛そうだけど、興味出ました。
「国家に抗するフェムテック」(横田祐美子)の受診エッセイは、僕がまさに婦人科医に抱いてる印象そのままというか、ちょっとトラウマものかもしれない。
産婦人科……この名称含め、もっと産む予定のない女性もトランスジェンダーやノンバイナリーも行きやすいところ知りたいです。
「キリスト教性倫理における「生殖」の位置」(朝香知己)は、キリスト教は聖書を解釈することで政治や道徳に生かしてきた歴史があるのは知っていましたが、思った以上に聖書の解釈が多様にできそうな感触に「なるほどなー」となりました。
…なんかフェムテックにしては取り上げたポイントが変化球多そうなイメージになってる気がしますが、でも基本的な情報や批判の記事もちゃんと何本か載っているので「フェムテックとか生理周期アプリくらいしかイメージないけど…」な僕でも、把握が進みました。
上の方で批判をずらずら並べて「…これ大丈夫……?」って不安だらけになってきますが、本気で広義のフェムテックを扱いたいってなったら、「フェム」を人をマイナスしていく言葉ではなく人をプラスしていく言葉となったのなら、利用することで自分の充実度を上げられそうなものもあります。
だからなんとかしてくれ頼む。
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